
2パック(2Pac 本名:トゥパック・アマル・シャクール(Tupac Amaru Shakur) 1971年6月16日 - 1996年9月13日)は、アメリカ合衆国ヒップホップMC、俳優である。ニューヨーク市マンハッタン区ハーレム地区出身、アフリカン・アメリカン。「トゥパック・アマル」は、古代インカ語で「輝ける龍」の意味(インカ帝国最後の皇帝トゥパク・アマルと、彼の2代目を自称し反乱を起こしたホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(トゥパク・アマル2世)の名前から)。身長180cm。
母の名はアフェニ・シャクール、彼女はブラックパンサー党のメンバーであった。父親もブラックパンサー党のメンバーだったと言われる。
幼少期をブロンクスで過ごし、1991年、「MCニューヨーク」というMCネームでデジタル・アンダーグラウンド(Digital Underground)の一員として「Same Song」でレコード・デビュー、その後「2パカリプス・ナウ」で2パックとしてソロ・デビュー。1992年には近代ブラックムービー「ジュース」に出演、俳優としても成功し、注目される。
警官を狙撃したり、女性蔑視の歌詞(2パック自身はフェミニストだと語っているが、金目当てで性交する女性として「ビッチ(bitch)」を頻繁に用いる)などにより名誉毀損で告訴される。また、5発(頭部に2発、股間に2発、手に1発)もの銃弾を被弾する事件に巻き込まれる。このとき事件現場にディディとノトーリアス・B.I.G.がいたことから、この事件はバッド・ボーイの陰謀だと疑い、ヒップホップ界は西海岸と東海岸とで激しく対立する。銃撃の怪我も癒えない1995年、ファンにアナルセックスを強要したレイプ疑惑で4年6ヶ月の判決を受ける。刑務所内でデス・ロウ・レコードと契約。9ヶ月の服役後、デス・ロウ・レコードのオーナーであるマリオン・シュグ・ナイトが用立てた140万ドルの保釈金で出所。最初はこの保釈金はレーベルからの贈与であったが、後にレーベルが2パックに返済を要求したため、デス・ロウ・レコードから抜けられなくなった。ドクター・ドレーがプロデュースした1996年の「カリフォルニア・ラヴ(California Love)」などのヒット曲を多数発表し、ウエスト・サイドを代表するMCとなる。また、ノトーリアス・B.I.G.らを激しくこき下ろす「Hit 'Em Up」ではバッド・ボーイ・レコードへの憎悪を顕わにした。
大ヒットアルバム『オール・アイズ・オン・ミー』発表後、出所前に獄中で読んだ本で出会ったイタリアの政治思想家、マキャベリに感銘を受け、自身のアーティスト名を「マキャベリ(Makaveli(The Don Killuminati))」と改名。
1996年9月7日、ラスベガスで友人でもあるマイク・タイソンのファイトを観戦後、横付けされたキャディラックからの銃弾を4発被弾し、同月13日死亡。25歳没。ノトーリアス・B.I.G.と並び、アメリカ東西海岸ヒップホップ抗争の犠牲者と言われている。また、彼の命日は13日の金曜日であったため、様々な憶測が飛び交ったが、犯人や動機はいまだに不明のままである(2パックの母親はこの事件に関して、メディアにビギーとディディではない別の数名の具体的な名前を挙げて非難している)。死後、マキャベリ名義でアルバム『ザ・ドン・キラミナティ・ザ・7デイズ・セオリー』が発表される。
死後も多数の未発表音源が発掘され、新しいCDがリリースされている。実はまだ生きているのでは、との噂まである。エミネムを始め、多くのアーティストに影響を与え続けている。
2パックのドキュメンタリー映画『レザレクション〜ヨミガエリ。』は、2005年アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画としてノミネートされた。
初期の音源は彼の母親であるアフェニ・シャクールが管理していたが、現在は大半の権利をエミネムに売り渡したため、昨今のアルバムはエミネムがエグゼクティブ・プロデューサーを勤めている。また、デス・ロウ時代の音源はシュグ・ナイトがマーダー・インク(Murder Inc、現The Inc)やナズ(Nas)等の他レーベルに売り渡している。

2pac "Ghetto Gospel" グッときたリリックの一部
refuse to be a role model
俺は誰かの見本にはなりたくない
I set goals, take control, drink out my own bottles
俺は自分で目標を決めて、自分でコントロールして、自分のボトルの酒を飲む
I make mistakes but learn from every one
俺は過ちを犯すが、同時に全ての人から学ぶ
Before we find world peace
世界の平和を見いだす前に
We gotta find peace and end the war on the streets
ストリートで起きてる戦争を止めさせ、平和にするべきだ
My Ghetto Gospel
これが俺のゲットーゴスペル

Dear Mama/母さん、感謝してるよ・・・
俺がガキだった頃、俺と母さんはしょっちゅう言い争いをしてたな
17歳になって、俺はストリートに放り出されちまった
あの頃は、もう二度と母さんなんかに会うもんかって思ってた
だけど、どんな女性も俺の母さんの代わりにはなれなかったんだ
学校を停学処分になって、俺は家に帰るのが怖かったよ
年上の連中と一緒になって、散々悪さをしでかした俺は馬鹿だった
妹と一緒によく泣いたもんさ
何年もの間、俺達兄妹は他のどのガキよりも貧しかったんだ
俺と妹はオヤジが違うけど
不満があると、妹と一緒になって母さんのせいにしてたよな
俺のせいで母さんを苦しめてしまった事を今でも思い出すよ
あれは地獄のような日々だった
母さんを抱きしめたくても刑務所の独房にいたんじゃ無理ってもんさ
小学生の分際でムショ行きになるなんて
想像もつかないだろ
いつだったか、ある日サツから逃げてたら・・・そうさ
母さんが大声でわめきながら追いかけてきて俺の尻を叩いたっけ
クラック中毒の母さんだったけど
あんたはいつだってブラックの女王様だったぜ
男の子を立派な男に育て上げることは
さぞかし大変だったんだろうな
生活保護を受けながら懸命に生きる貧しい未婚の母はいつだって
献身的だったけど、どうしてあんなに頑張る事ができたんだい?
どんなに恩返ししても足りないくらいさ
けど、これだけは伝えておきたいんだ、これが俺の本心なのさ
母さん、感謝してるよ・・・
レディ・・・
俺も妹も母さんが大好きだよ、優しいレディ
なぁ、母さん
誰も優しい母さんの代わりになんてなれないのさ
あなたに感謝してるんだ
俺も妹も母さんを心から愛しているよ
それでいいんだよ、と誰ひとり俺達に言ってくれなかったけど
俺は家庭を捨てて行ったオヤジには愛情の欠片も感じてなかったのさ
オヤジが死んだ悲しみより怒りが上回ってて涙さえ出なかったぜ
父親とは名ばかりの見知らぬ男に感情なんて抱けなかったのさ
そんな俺を見て、みんなは間違ってるとか冷たいとか言うけど
長い間、父親を捜し求めていたのに勝手に死んじまったんだぜ
俺がツルんでいた悪党連中はヤクの売買までしてたけど
それでも連中はガキのブラザーには優しくしてくれたよ
俺は家を出て、そんな連中と本格的にツルんで歩くようになったのさ
俺は自分だけの稼ぎが必要だったからヤクを売るようになったんだ
クラックを売り歩いても罪悪感なんてなかったし
むしろ郵便受けに売上の金が入ってると嬉しかったぐらいさ
家賃を払う必要があるなら喜んで払うし
母さんのためにダイヤのネックレスでも買ってやりたいしな
俺が落ち込んでる時は、いつも側にいてくれたもんな
俺を愛してくれてた母さんは、決して俺を独りぼっちにしなかった
深夜遅くにようやく仕事を終えて帰宅した時だって
俺達のためにキッチンに立ってあったかい料理を作ってくれる母さん
家にあるものといったら、誰かに恵んでもらったガラクタばかり
それでも感謝祭の時には
まるで魔法でも使ったみたいにご馳走を作ってくれたっけ
けど今になって、母さんを独りぼっちにして辛い目に合わせてる
一生懸命女手ひとつで出来の悪いガキを二人も育ててくれたってのに どんなに恩返ししても足りないぐらいさ
けど、これだけは伝えておきたいんだ、これが俺の本心だから
母さん、感謝してるよ・・・
ほろ酔い気分になると、いつも決まって思い出すぜ
どんな大変な事が起きても、いつも俺は母さんを頼っていたもんな
俺がどんなに落ち込んでいても
俺を勇気づけてくれるような言葉をかけてくれたっけ
ガキの頃病気になった時も俺を何とか元気づけようと頑張ってくれた
俺と妹のためなら、どんなことでもしてくれたよ
俺のガキの頃の思い出といえば
どれもこれもが母さんに愛情を注いでもらった事ばかり
俺も馬鹿なことばかりしでかしてるけど
母さんが俺を産んでくれた事を神様に感謝しなけりゃいけないな
どんな言葉を並べても、俺の今の気持ちを言い表せないんだ
母さんは一度だって隠し事はしないで、いつも真っ正直に生きてたな
そんな母さんが俺をここまで育ててくれた事に感謝してるよ
溢れるほどの愛情を俺に注いでくれてありがとう
母さんの苦しみを取り除いてやれたらどんなにかいいだろう
夜が明ければきっと悲しみを忘れられるさ
今のままで頑張っていけば、必ず問題は解決するよ
まるで闘いのような毎日だけど、それでも生きていかなきゃ
どんなに恩返ししたってきっと足りないだろうけど
これだけは伝えておきたいんだ、これは俺の本心だから
母さん、心から感謝してるよ・・・




